何処へ行きたい?>俺
2003年8月9日部活を、辞めました。
身の回りの環境が変わった、大きな一つ。
(筆者注:もういくつかはすこし都合により話を控えさせていただきます)
何故辞めたか、それはとても自分の中で漠然としすぎてて、うまく説明できなくて。
だから周りの仲間とも消化の悪い形でトラブルにもなった。
こんな気分の悪さは、一応中学校の頃にもあった。
表面的には中学校のほうが酷かった。
見る人によってはそれは”いじめ”だったから。
だけど今、高校のほうが酷く自分を蝕んでいた。
今回は、体調に出た。
学校のクラスのみんなは好きで、楽しかった。
でも放課後になると、頭痛がした。
お腹を壊した。
咳が酷くなった。
そして、とりあえず進もうとする自分の足を、誰かがつかんでいる感覚さえした。
自分のとりえは、とりあえず物事を続けられる事だと思ってた。
中学校の部活、3年生が自分だけになっても、休まなかった。
中学校生活自体、学校なんて行きたくなかった。
でも表面には出さずに、とりあえず皆勤賞と言う物を得た。
すべて、母親の教育の賜物だと思う。
”サボる”と言う行為に、とかく母親は厳しかった。
「学校を休む」と言っただけで殴られた事もあった。
でも感謝は・・・してる。今となっては。
自分のとりえは、今消えた。
部活を辞めたから。
辛さを感じたのは入部してほんの数週間の事だった。
でも最初は色々言い聞かして足を進めつづけた。
「もっとハンドボール(部活)がうまくなりたい」
「ここで辞めてはそれはなんの誇りもない、ただの逃げだ」
「ここでサボったら、自分の居場所はなくなる」
色々な言葉で、自分は上手に自分の体に鎖を巻いた。
鎖は腐った。
初めて、先生に辞めるという意向を伝えた7月、夏休みも序盤。
先生は、自分を手放してはくれなかった。
それはとてもありがたい事かもしれない。
でも、その時だけは自分を冷たく突き飛ばして欲しかった。
そんな状況がまた数週間続いた。
ついに自分は”サボる”ようになった。
いつもどおり悪い体調を使って、練習に参加せず、見学ばかりした。
でも出席はした。居場所を残しておく為、そしてそれをゆるさない母親がいた為。
8月の始め、暑い日。合宿前日。
自分は遅れて部活にいった。運動用の着替えを持たずに。
先生もたったちょっとの変化の意図を受け取ってくれたと思う。
そして自分に、最後の選択にも似た連絡を告げた。
現実には、今(8月9日)はまだ自分はハンド部員。
最終決定は16日と聞いた。最終?それすらもわからないけど。
やめたら、自分はなにをするのだろう。
中学校から続けてた物書きは続けるだろう。
大好きな音楽ももしかしたら始めるかもしれない。
気持ちに余裕がでたら違うとこで剣道ももう一回始めようか。
そんな事を思い浮かべてたら、一つの共通点が浮かんだ。
自分、いや俺は、独りになりたいのか。
厳密に言えば決して単独で行う物ではないけど、
部活のように強い上下関係も、交わりもない。
かといって違う部活は、今の自分に続けられる自信はなくて。
何処へ行きたいんだ?俺。それを当面は、探す時間になりそうで。
最後に、
部活の顧問の皆さん、ありがとうございました。
部活の先輩、ありがとうございました。
同じ一年のみんな、俺みたいにならないでくれ。
俺は、これからが本当の正念場なのかもしれない・・・。
身の回りの環境が変わった、大きな一つ。
(筆者注:もういくつかはすこし都合により話を控えさせていただきます)
何故辞めたか、それはとても自分の中で漠然としすぎてて、うまく説明できなくて。
だから周りの仲間とも消化の悪い形でトラブルにもなった。
こんな気分の悪さは、一応中学校の頃にもあった。
表面的には中学校のほうが酷かった。
見る人によってはそれは”いじめ”だったから。
だけど今、高校のほうが酷く自分を蝕んでいた。
今回は、体調に出た。
学校のクラスのみんなは好きで、楽しかった。
でも放課後になると、頭痛がした。
お腹を壊した。
咳が酷くなった。
そして、とりあえず進もうとする自分の足を、誰かがつかんでいる感覚さえした。
自分のとりえは、とりあえず物事を続けられる事だと思ってた。
中学校の部活、3年生が自分だけになっても、休まなかった。
中学校生活自体、学校なんて行きたくなかった。
でも表面には出さずに、とりあえず皆勤賞と言う物を得た。
すべて、母親の教育の賜物だと思う。
”サボる”と言う行為に、とかく母親は厳しかった。
「学校を休む」と言っただけで殴られた事もあった。
でも感謝は・・・してる。今となっては。
自分のとりえは、今消えた。
部活を辞めたから。
辛さを感じたのは入部してほんの数週間の事だった。
でも最初は色々言い聞かして足を進めつづけた。
「もっとハンドボール(部活)がうまくなりたい」
「ここで辞めてはそれはなんの誇りもない、ただの逃げだ」
「ここでサボったら、自分の居場所はなくなる」
色々な言葉で、自分は上手に自分の体に鎖を巻いた。
鎖は腐った。
初めて、先生に辞めるという意向を伝えた7月、夏休みも序盤。
先生は、自分を手放してはくれなかった。
それはとてもありがたい事かもしれない。
でも、その時だけは自分を冷たく突き飛ばして欲しかった。
そんな状況がまた数週間続いた。
ついに自分は”サボる”ようになった。
いつもどおり悪い体調を使って、練習に参加せず、見学ばかりした。
でも出席はした。居場所を残しておく為、そしてそれをゆるさない母親がいた為。
8月の始め、暑い日。合宿前日。
自分は遅れて部活にいった。運動用の着替えを持たずに。
先生もたったちょっとの変化の意図を受け取ってくれたと思う。
そして自分に、最後の選択にも似た連絡を告げた。
現実には、今(8月9日)はまだ自分はハンド部員。
最終決定は16日と聞いた。最終?それすらもわからないけど。
やめたら、自分はなにをするのだろう。
中学校から続けてた物書きは続けるだろう。
大好きな音楽ももしかしたら始めるかもしれない。
気持ちに余裕がでたら違うとこで剣道ももう一回始めようか。
そんな事を思い浮かべてたら、一つの共通点が浮かんだ。
自分、いや俺は、独りになりたいのか。
厳密に言えば決して単独で行う物ではないけど、
部活のように強い上下関係も、交わりもない。
かといって違う部活は、今の自分に続けられる自信はなくて。
何処へ行きたいんだ?俺。それを当面は、探す時間になりそうで。
最後に、
部活の顧問の皆さん、ありがとうございました。
部活の先輩、ありがとうございました。
同じ一年のみんな、俺みたいにならないでくれ。
俺は、これからが本当の正念場なのかもしれない・・・。
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